20XX年、某日
「お金がない……」
うららかな春の昼下がり、事務室で漠然と呟く私
季節は三月の終わり、個人ジムを開業してから六年が経とうとしていた
経営は地味に赤字続き、リーマン時代に貯めた貯金はジリジリと減り続けている
うんざりするので先月から通帳の記帳をやめた。だって見るの怖いし
「はあ、やっぱり他所のジムみたいに健康食品やらサプリを売りつけた方がいいのか……」
あれって結構な利益になるらしい。知人のジム経営者が言ってた
しかし私には1キロにも満たないプロテインを4万円で客に売りつける度胸は無い
小説を書こう
「なんか良い儲け話はないかな……」
煙草を咥えてスマホをポチポチ。『金儲け』『楽して』などのキーワードで検索してみる
グーグル先生は月収100万円以上稼げる情報をバンバン提供してくれた
『今がチャンス! すぐに登録すれば1年間毎日4万円を稼げる投資システムをプレゼント!』
『寝ているだけで確実に月80万を稼ぐFXメソッドを無料で!』
トンチキな自分でも引っかからないような詐欺情報ばかりだ
私はFXを始めて間もなくリーマンショックに遭遇するという凶星の下に生まれた
そんな自分だから怒りを込めて断罪してやった。騙されるかバカ、と
仕方がないので『懸賞』『賞金』などのキーワードで検索をかけ直す
「コンテスト……公募……文学賞?」
見つけたのは出版社が公募する文学賞の情報を纏めたサイトだ
「小説を書いて賞金を貰う……」
いいかもしれない。考えれば考えるほど名案な気がする
必要コストは時間だけ、自分のように持て余している人間にとっては実質ないに等しい。PCさえあれば誰でも挑戦できるのだ
ノートPCならば手元にCore2Duo搭載の骨董品を持っている
ちなみに私は読書を好むが、小説を書いたことはない。子供時代に作文を評価された等の逸話もない
だが35年以上も生きていれば知らぬ間に才能が開花している可能性はおおいにありえる
家の犬は8歳にしてお座りができるようになったし
受賞すれば書籍化されて作家の仲間入り、印税でウハウハ生活、周りから「先生」などと呼ばれるのだ
零細自営業者にして作家、なかなかにキャッチーな組み合わせである
きっとマスコミが飛びつくに違いない
「作家かあ……」
私には薔薇色の未来しか見えなかった
サイトには大手出版社の公募だけでも相当数の文学賞が掲載されていた。出版不況と言われて久しいがなかなかに盛況である
高額賞金を提示している文学賞を探す。最低ラインは100万円。応募者の少ないやつがいい
ぱっと見たかぎり、純文学や大衆小説よりもライトノベルの方が賞金は高い傾向にあるようだ。大賞をとれば300万円なんて新人賞もある
純文学や大衆小説は難しそうだな、ならば狙うはライトノベルか
ちなみに私はフォーチュンクエストとパトレイバーが好きである
各文学賞の過去の応募総数も調べてみた
賞金が少なければ応募が4~500なんて文学賞もあるが論外、私は100万円が欲しいのだ
しかしいくら探してもそんな都合の良い賞は見つからない
むむむ、やはり小説で大金をゲットすることは生易しくはないらしい
「ダメだこりゃ」
ヘタレの私は早々に挫折してしまった
しかし、やる気なくスマホを弄っていると幸運が訪れる
『第◯◯回 フランス書院文庫官能大賞。大賞100万円』
たまたまその文字に目が止まった
フランス書院、言わずと知れた官能小説界の雄である。中高年にコアな読者を持ち、この不況下でも堅調な売り上げを見せている出版社だ。ちなみに私も数冊持ってます
フランス書院文庫官能大賞は年に2回開催されているらしい。賞金は100万円、他にも特別賞や新人賞まで設けられている
官能小説というニッチなジャンルならば応募総数も少ないのではないか
ネットで検索すると少し古いデータではあるが応募総数が1200と載っていた。多いが多すぎるほどではない。しかも当時は年に1回の開催だったらしい。ということは年に2回開催している今はその時よりも少ない可能性が高い
官能小説。エロスに一家言を持つ私だ、書けないジャンルではない。いや、むしろ書きたい
締め切りは5月末日。原稿用紙の枚数に規定はない。しかし文庫本にするなら最低でも10万文字は必要だろう
私は大急ぎでノートPCを開いた
小説を書くだけで3キロ痩せました
「ふう、ようやく完成だ」
5月27日、とうとう13万文字を越える大作が完成した。プリンターから吐き出されるA4用紙は300枚を越えている
おかげで金もないのにインクカートリッジを追加購入するハメになってしまった
書き上げたのは10日前だ、しかし何度も見直して修正を加えているうちにあっという間に時間が経っていた。見直せば見直すほど粗が見つかりきりがない
それでもどうにか校正を終わらせることができた
小説の執筆作業はびっくりするほど大変だった。
読むのは楽しいが書くことがこんなに過酷とは……書き上げた満足感よりもやっと解放されたという感じである
何冊も世に送り出す作家は本当に凄い人たちなのだと思う
でも気分は良い、私は自作品を胸に抱きしめた
「ふははは、この作品で必ずや百万をゲットしてみせる」
ゆうパックの紙箱に原稿を突っ込み、意気揚々と職場近くのポストに向った。
「あっ、ゆうパックですね。持っていきますよ」
「……」
たまたま郵便物を回収していた局員と鉢合わせになってしまう。宛先に大きく『フランス書院』と書かれたゆうパックを渡すのは少し照れますな
しかし自信作をフランス書院へ送り出すことができて足取りは軽い。スキップで職場に戻った
私は今回の投稿にあたりフランス書院の作品をわりと真面目に研究していた。過去の作品を調べ、流行りの傾向を自分なりに分析してみたのだ
有名な話かもしれないが、官能小説は大きく分けると誘惑系と〇辱系という二つのジャンルに分類される
甘いエッチとハードなエッチ。最近は甘い方が売れ筋らしい
ちなみに誘惑系とは年上のお姉さまに手ほどきを受けるタイプの作品、反対に凌〇系は男からガツガツいくタイプの作品である
視点は一人称寄りの三人称視点。女性の気持ちを微細に描いた作品は読者に好まれやすいようだ。読者の評価はアマゾンで調べた
さらに流行の属性といったものが存在する。今だと義母物か
問題は自分が書く時にそういった流行の乗るかどうかである。王道を外さないのは常道、しかし流行に乗れば既に第一線で活躍するプロ作家と比較されやすい
と言うわけで私は少し主流から外した作品を書いてみた
とあるスポーツのインストラクターで既婚者の姉と、とある運動部に所属する妹、2人をヒロインにして主人公との歪な人間ドラマを描いてみたのだ
姉を某スポーツのインストラクターという設定にした理由は、なんとなく中高年の受けが良さそうだと思ったから
もちろんそれだけじゃない
某スポーツをする女性というのは官能小説の設定としては珍しいが、アダルト動画では昔から一定の需要があるジャンルなのだ
フランス書院ファンの琴線に触れる可能性は高い
妹が所属するとある運動部はエロの題材としては定番だが意外にもフランス書院の作品には少ない
姉妹物は少し前の流行である
流行に乗りすぎず、かといって外れすぎてもいない。自分なりに微妙なラインを狙ってみました
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結果は……
7月の末日、フランス書院のホームページにて一次選考の通過作品が発表される
「ほほほ、一次通過よ」
一次を通過したのは107作品。自作のタイトルを見つけて小躍りする私
「あへへへ、また通過してるう!」
絞られた37作品の中に私の作品が。思わずダブルピースをしてしまう。
9月末、最終選考通過作品が発表される。
「マジか……!?」
4作品の中に自分の作品が。
思わずサイトを二度見してしまった。もうふざける余裕はないっス。驚くよりも困惑の方が大きいとはこのこと。
「おかしいな……マジですか?」
頭を殴っても現実は変わりません。たしかに自分の作品は最終選考に残ってます。
悲しいかな私の人生には物事がこんなにトントン拍子に上手く運んだ経験がなかったのです。だからつい疑心暗鬼になってしまう。実際お店はヤバイし
でも流石に幸運はここまででした。
結果から言うと私は落選しました。
10月の半ば、フランス書院のサイトには最終選考に残った全ての作品に対して丁寧な講評が掲載されました。
たぶん今も残ってるはずです
後に私の作品はフランス書院から電子書籍として売り出す話をいただきましたが断りました。
理由は電子書籍にしてもたいした印税が見込めないと言われたからです。恐らく年間で10万円にもならないだろうという話でした。
持っていればいずれ今回以上の幸運を呼び込むんじゃないかと期待して。
それから数年が経ちましたが、お守りは効果を発揮してくれません
やっぱり電子書籍にしておけばよかった(泣)
おしまい