ひたすら西へ、西へ
我々はバイクと車に分乗して移動してました
母なるメコン川の支流を越えて、山を越えて、森を抜ける
それにしても……
みんなスピード出しすぎじゃないかな
道は舗装されてなくて土が剥き出し。幅も狭い。なのにコレ100キロ近く出てない?
私はトラックの荷台に乗っていたので、必死に振り落とされまいと縁にしがみついてました
身体が跳ねるたびにタマタマがキュっとなります
彼らに限らずラオスの車移動では肝を冷やすことが多かったですね
とにかくみんな運転が荒い。見通しの悪い山道を正気とは思えないスピードで突っ込むんですよ。たまに対向車や牛が現れるのにお構いなし
私は恐ろしくてカーブを曲がるたびに「次こそ事故る!」と目を閉じていました
しかし不思議と事故を起さない。なんか腹が立つけど
一度、ラオス人の運転手に「なんでそんなに飛ばすの?」と聞いたことがあります。お前の運転でこっちはゲロ吐きまくりだよ、と言いたいのを堪えて
そしたら彼は
うん? 別に急いでないよ、これが普通
だってさ
そう答える彼はビール飲みながら運転してましたけど
それ以降、色々考えるのがバカバカしくなりました。たぶん死ぬ時は死ぬんだろうなですよ
途中で小さな集落をいくつも通り過ぎました。見慣れた高床式の民家ばかりです
都市部以外はこういう家ばかりでしたね。藁葺き屋根の昔ながらの家
ちなみにラオスは縦長の国なのでカンボジアに近いとこんな家もあります
これは私が泊めてもらった民家です
土地柄による形状の違いもありますが、民族による違いもあります
ラオスには様々な民族が暮らしています。私が覚えてるのはアカ族、モン族、タイデム族。他にもまだまだ沢山の民族がいました
しかし北に住む中華系の民族を別にすれば、顔を見ても違いがよくわかりませんでした
顔以外の違いはわかります。衣装がそうです。黒を基調に原色を取り入れていたり、紺色がベースだったり
服装だけでなく文化風習にも独特な違いがありましたね。例えば独身女性と既婚女性ではアクセサリーや髪型に違いのある民族もいましたし、男だと歯が真っ黒な人たちがいました
後に私はミャンマーやタイでもモン族と会いました
モン族は欧米諸国の思惑に翻弄された苦難の歴史があるのですが、説明すると長くなるので割愛します
話を戻しますね
半日かけて我々はムーンという小さな村に到着。そこで7人の欧米人と合流。彼らはスタッフとツアー参加者でした
思ったより賑やかなツアーになりそうです。
村で一泊することに
全員集まってのミーティングがありました。女性スタッフの説明によると目的地まであと1日かかるらしい。彼女はシンプルな地図を描いて説明を続けます。どうやらメコン川を渡って森を抜けると車が待ってるのでそれに乗るみたい
ちなみにここに来るまでに既にメコン川を渡っていますがあれは支流です。ラオス内には本流と支流が通っているのです
他のツアー参加者は予定を既に把握しているようで、スタッフの話を碌に聞いちゃいません。テンションアゲアゲでお喋りしてます
そう、みんな英語が喋れるから簡単にお友達になれるんですよね。実に羨ましい
私の英語力はかなり酷いです。自分の英語が通じて無いのはわかってますが、ごり押しで話してるだけ。あとは適当に想像力を働かせてコミュニケーションをとってます
つまり意思疎通はまともにできてません。相手の言ってることもよくわからんし
ノリと勢いだけ
ムーンで一泊した後、朝早くから出発です。ここからは車を使わずバイクで移動
なせか私がバイクを運転することに
「HAHAHA、思ったよりゲストが増えてね、運転手が足りなかったんだ。ヤマグチよろしくね!」
ファーザーは笑ってるだけ
バイクは青いオフロードバイクで意外とかっちょ良い
私は後ろにツアー客を乗せて出発しました。女子だと良かったのですがスペイン人の男でした
そこから先の移動は結構大変でした。移動手段がバイクになった理由はわかります。道が狭いからです。小さな川がいくつもあって、浅ければそのままバイクで渡るし、深ければ筏に乗せて渡る
筏は近くの村で金を払って借ります
数時間後、ようやくメコン川に到着。しばらく南に向かって川沿いを移動します。すると村が見えてきました。
スタッフの指示に従い、村人にバイクを預けて代わりにボートを借りました。それを使って川を渡ります
渡り終えると密林を徒歩で横断。流石に参加者の顔には疲れの色が見えはじめています
体力に自信のある私でもハードだと感じました
というか、私が思い描いたツアーとなんか違う。もっとこう旗振ってる添乗員さんがいて、客はポッキー食べながらバスに乗ってるだけみたいなのを想像してた
今、我々が歩いてるのはジャングルです。当然道なんてありません
これなんて行軍?
それに気になってることがありました。
私は極度の方向音痴なので確かなことは言えないのですが、
私たちはルアンパバーンを西に向けて出発したわけですよね、かなり長距離を移動しました。そして最後に大き目のメコン川を渡りました
……この方向って……
「もう少しで迎えの車が見えるからな、頑張れよ!」
ファーザーとスタッフが笑顔で励ましの声をかけます
私は前を歩いていた青いブリンク好きのラオス人を呼びました。彼の本名は長すぎて忘れたので、とりあえずブリンクとします
嫌な予感に胸が重くなってました
「なんだいヤマグチ」
「ええと……」
ブリンクに尋ねます。実はこの時点で既に手が震えてました。なんとなく確信があったから
「ねえ、ブリンク。ここってさ、もしかしてミャンマーだったりする?」
「そうだよ!」
やっぱりか、大バカ野郎
「それがどうしたの?」
ブリンクは不思議そうに私を見てます
「……」
私は文字通り声を失っていました
どうすんだよ! 完全に俺たち越境者じゃねえかよ
ミャンマーはヤバイだろ。ゴメンで済む国じゃないぞ
っていうかなんでそんなに平気な顔なんだよ!
。
。
……
ああ゛あ゛あ゛あ 何故ミャンマー
人生で一番のパニック状態ですよ。ドラマなんかでショックを受けた人が気絶するシーンがありますけど、あれって本当ですね。私は眩暈がして倒れそうになりました、緊張しすぎて吐きそう
旅行中に怖い思いをしたこともありますが今回は次元が違う
ど、どどどうすんのコレ、どうなっちゃうの
膝ガクガクですよ
しかしブリンクはそんな私に驚いてます
何を今更ビックリしてんの。ちゃんと説明したじゃん
って感じのことを言ってますよ
ちゃんと説明聞いてたらこんな犯罪ツアー参加するかよ、おバカ。いやバカは俺か?ちゃんと話を理解してなかったもんな。英語わからんでごめんね
ブリンクはファーザーを呼びに行き、やって来たファーザーは笑顔で
「心配ないよヤマグチ。ちゃんとこっちの人に話は通してるからね」
とサムズアップする余裕。
話は通してる? そんなことありえるの? でも自信たっぷりだし本当っぽいな
驚いたことに他のツアー客は自分がミャンマーにいることを理解してるようでした
彼らは「何を今更騒いでるんだ?」って目で私を見てますよ
え、なにこの感じ。まるで私が世間知らずみたいになってる
くっ、
私は収まりのつかないまま、歩き続けるしかありませんでした
だってここで「俺帰る!」と言っても何となく放っておかれる気がしたし
絶対におかしい
ずっとそんな事をぶつぶつ言ってましたよ
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もちろん国境を越えちゃいけません
当時、タイとミャンマーの国境ではビザ無しで行き来ができました。地元民はもとより私のような旅行者もパスポートを国境に預けてちょっとお金を払えば出入りができたのです
ただし移動距離には制限がありましたし、強制両替といってミャンマーに入国する時に決められた金額分のミャンマー通貨(チャット)を買い取る必要がありました
でも、そういったルールも国境は南北に長いので厳格に適応はされてませんでした。特に南の方はガバガバ
とはいえ今回はそういった話とは違う
そもそも我々はタイ→ミャンマーじゃなくラオス→ミャンマーで移動してるわけで。普通に考えてダメでしょ
失敗した失敗した失敗した失敗した――
相手の言葉がロクにわからんのに、ノリと勢いで行動した自分が悪い
頭を抱えて密林を歩く私。他の皆さんは疲れてはいてもピクニックみたいに笑顔
なんで君たちそんなに楽観的なの?
意味がわかんない
↑密林を抜けた地点
密林を抜けると車が7台待機してました。運転手もいます。一台の車には軍人の制服を着たミャンマー人がいてファーザーと握手してました
偉い人かな。話が通ってるというのは本当らしい。というかそうでないと困る
うんざりしてトラックに乗り込む私。ようやく車に乗れて喜ぶ皆
それからひたすら3時間、移動しました。
意外だったのは密林が多いから道もウエットなのかと思ったら乾いて砂埃が酷かったことです
頭は錯乱してたのにどうでもいいことはしっかり覚えてるんですよね
これ以降私はカメラで風景を撮ってません。証拠が残ると思ったからです
全力で自分がこの国にいた証拠は消すつもりでした。さっき密林の風景を撮影したのは当時かなり後悔した覚えがあります
到着したのは標高が高く少し涼しい集落でした
ニンという名前だったと思います
ずっと遠くには大きな町が薄っすらと見えます。誰かがチャイントンと言ってたのでそんな町があるのでしょう
集落には緑が生い茂り、白と濃いピンクの花が咲き乱れています。花弁が落ちた花の芯は丸々と緑色に大きく膨らんでいました
綺麗なお花畑です。一面に広がっています
お花畑では村人たちが膨らんだ芯の部分にナイフを当てて、染み出た液体をヘラでこそぎ取ってます
うん、ケシ畑ですね
後で知ったのですがケシは英語でオピウム・ポピー。もちろん日本のポピーとは似て非なるもの
村人がヘラで回収してる液体は生アヘンです。精製するとモルヒネやヘロインになります
ファーザーが近づいてきて
「どうだいヤマグチ、綺麗だろ。君も村人の作業を手伝ってくるといいよ。そうすればポピーマスターさ!」
なに言ってんだこの人
っと言いたい所ですが、実はこの集落には我々以外にも多くのボランティアが集まっていました。
国籍は様々です。日本人もいたけど役人っぽかったですね。話しかけるなオーラを出してたので声はかけませんでしたけど
ボランティアの方々は持ち込んだ機材で村人と一緒に畑を作ったり、村の子供たちに英語やら文字やらを教えたりと一生懸命にやってましたね
私たちのグループとは違うボランティア団体の代表が我々に説明してくれました
この集落がケシ栽培でなく他の仕事で生計を立てられるように色々と指導しているそうです
そのついでに我々のような旅行者をカモ……観光客として呼び込み村の収入源にする。集落にはツアー客が我々以外にも沢山いました
もちろん綺麗ごとばかりじゃなくて、この辺りの偉い人たちが潤う仕組みもあるのでしょうが
ちなみにファーザーはキリスト教を布教してましたよ。本当に神父だったらしい
でもこの人は最後まで素性がよくわかりませんでした
それとですね残念なことに虎はいませんでした。最近まで集落で虎を飼っていたのは本当らしい
ボランティア団体の説得で北部の森へ運ばれたそうです。ホントか嘘かわかりませんがミャンマーの北部には虎の生息地があるらしい
そんなわけで私は暇でした。
他のツアー客は熱心にケシから生アヘンを回収する作業を手伝ってました。
でもほのぼのした感じはありませんね。村人の指導が厳しい。普通に怒ってます
当然ですが村人にしてみればケシは生活の糧なのでちょっとした失敗も許せないわけです
でも、
『実の部分の深さ2~3ミリまでにしか生アヘンは詰まってない』とか
一生使わない知識だと思う
村人の指導で銃を撃ってるツアー客もいました。村のライフル銃かな、見たこともない古い形式です
私はファーザーに頼まれて子供たちにお菓子を配る手伝いをしました。お菓子はスタッフが前もって大量に準備していたものです
その時に初めてミャンマーのスナック菓子を見ましたが全部中国やタイから輸入品でした
オレオのパチモンとかカッパエビせんのパチモンとかは中国製でしたね
「ミンガラーバー!(こんにちは)」
覚えたばかりのミャンマー語を使ってみます。お菓子を持った私を見るとわらわらと寄って来る子供たち
目を輝かせてお菓子をねだる子供を見ていると、なんだかすごく良い事をしてる気分になりました
でも自分、ラオスから来た男ですけど
アジア顔の子供は見ていると親近感がありますね。実に可愛らしい
本当はここで記念に写真でも撮りたい所ですが、できないのが残念。
とっとと脱出することにしました
村で一泊した私は翌日にはラオスに戻ってきました。他の者はまだ残ってるようでしたが
金にモノを言わせてわがままを通しました
ラオスの地を踏んだ時は安堵して泣きそうになりましたよ。私に付き添ったのはブリンクです
とにかく急いで逃げるようにラオスを出国しました。それでも安心できなくてタイの南部へと向かうことにしました
目指すは映画『ザ・ビーチ』の舞台になったピピ島
なんだがすごく地味な感じですが。こうしてラオスの旅は終わったのでした
自分探しを『変わった事にチャレンジすること』と勘違いしてたからこんなことになったわけです
ちょっと反省。考えてみると自分のやったことは最近叩かれてるユーチューバーと変わりませんね
でも時々思うのです。もし履歴書に
普通自動車免許
英検4級
タイガーライダー
ポピーマスター(アヘン)
って書けたらちょっと面白いよなって