私がラオス人民民主共和国の首都ビエンチャンに到着したのは、バンコクを出発してから20日後のことでした
バンコクからビエンチャンまでは距離にして700キロ弱しかありません
20日もかかった理由は真っ直ぐ向かわずに東北方面を旅行していたから
というのは半分嘘で
マッサージ学校に通ってました
タイにはそこら中にフットマッサージやタイマッサージの店があります
興味本位にフットマッサージの店に入った私はその心地良さに感動し、3日連続で通いつめてしまいました
すると店主から「そんなに気に入ったならマッサージ学校に入らないか?」と勧誘されたのです
話によると、学校は欧米人が母国でタイマッサージの店を開くためにわざわざ入学するほどしっかりした学校らしい。タイマッサージだけどイギリス式とか言ってた気がする
授業は英語でするが、指導はマンツーマンなのでちゃんと生徒の理解度に合わせて進める。カリキュラムは真面目にやれば2週間で修了する予定
「卒業したら免許が貰えるわよ! 権威ある我が校の卒業資格を証明する免許は絶対に持っておくべき! あなたがお店を開く時に大きなアピールポイントになるわ」
免許
その言葉に私は速攻で金を渡して入学することにしました。入学に試験があるわけでもなく、2週間通えばいいだけ。それで資格が貰えるならチョロい
私が受けたのはフットマッサージ講座でした
店主は学校なんて言ってましたが場所は店の2階。
指導者は私を勧誘したおばちゃん店主、名前はウアンさん。たぶん60歳くらい
さっそく始まった授業はクッソ厳しかったです
普通外国人がお遊びで受けるような講座だったら和気あいあいとやるもんだと思うじゃないですか
先生はマジで真剣に教えてくれました。座学は復習してないと怒られるし、実技は先生の店のスタッフ相手に練習するのですが、竹の棒でピシピシと小突き回されました
けどなんか可愛がってくれて「宿代がもったいないから学校で寝泊りしろ」とまで言ってくれましたね
ぶっちゃけ学校の免許が公的な効力を発揮しないことぐらいわかってました。けど、真剣に教えてくれるからこっちも真面目に受けましたよ
2週間後に別れる時はウアンさんちょっと泣いてたし
晴れて私は1個目の資格をゲットしました。その名は『リフレクソロジーフットマッサージマスターC』
そんなこんなで中々の良い時間を過ごした私はビエンチャンに到着
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1人旅は思ったより辛い
ここで私はいつもの寄り道癖がでて、虎を後回しにして北の町、ルアンパバーンへ向いました。それから、サムヌア、ポンサーリー、とベトナムや中国の国境近くの町をうろついてました
辺境にいくほど風景は浮世離れしています。山や森、岩、全てが日本とは違う
陸地で国境を接するということはそこに住む人々の人種も多様です。当たり前のことですがそれが新鮮で感動したのを覚えてます
しかし外国人が乗れないバスがあり、それがどういう基準かわからず移動には大変苦労しましたね
せっかく目的地へ行くバスを見つけたのに、乗ろうとすると「外人はダメだ」と言われる。そのせいで目的地に行けない。自分の実感として共産圏の国ではこういうことが多かった気がする
いずれにせよルールというものが曖昧で日本との違いを痛感しました
お金を使って要求を通すことを覚えたのもこの時から
辺境に行くと日本語を喋る機会もなく、独りぼっちの旅に寂しくなり始めます。言葉が通じず、移動や食事といった当たり前の行動にもストレスを感じる。異国にいることで自分が外国人なのだと当たり前のことにようやく気づく
想定外だったのが田舎に行くほどボロい宿でも高いことです。都会と違って競争もないですからね
それに田舎は夜になるとすぐ真っ暗になります。することもないしテレビもない。ボロボロの宿で眠くもないのに早い時間からベッドに潜って眠れない夜を過ごします
スマホとかネット環境があれば違ったかもしれません
当時はインターネットショップといってPCだけを置いてる店がありました。利用者はお金を払ってPCを使い、ネット電話やメールのチェックをします
しかしラオスだと田舎にはありませんでしたね
移動は全て陸路でした。小型バスによる超長時間移動は山道が多く悪路ばかりで何度嘔吐したことか。車酔いなんてそれまでしたこともなかったのですが、地元の人間も吐いてたから相当酷かったんだと思う
小型のバンで中国との国境に沿って移動していた時、山賊に襲われました
銃で武装した人たちってマジで怖いっス、腰に下げたナイフがバカでかいし
幸い私は所持金を分散して隠していたので金銭被害は軽微でしたが、荷物は全て奪われてしまいました
硬く重いライフルの銃身で肩を押さえつけられた時は恐怖で気を失いかけたほどです
でもそれをきっかけに色々と吹っ切れてしまいました
あれほど寂しいと感じていた1人旅が気づいたらへっちゃらになっていました
そんな感じでフラフラと放浪してたらビザが切れそうになったので一度タイへ出国することに
数日後再入国しました
話は再入国した所から始まります。場所は再びビエンチャンです
なぜ再入国したのかというと、やはり虎に乗りたかったから。フリッツと会ってから1カ月以上が過ぎていましたが、彼の話は忘れていませんでした
ちなみにラオスではゾウを見る機会が多かったです。野良(野生)は見ませんでしたが
ずっと昔のラオスは野生のアジアゾウが沢山いて、ゾウの国と呼ばれていました。今は密猟のせいで激減して野生では数百頭しか生息していません
アジアゾウはアフリカゾウに比べると皮膚に皺が少なくて可愛いらしい印象です。体格はゾウにしては少し小さ目で威圧感が少ないし
もちろんそれでもゾウだから大きいです。背中までの高さは3mくらいはあったし
現在(2019年)のラオスは『ゾウ使い』の資格をゲットできるツアーがあります。難しい資格じゃありません。ゾウと触れ合いながら一日で取得できるので旅行に行った際はチャレンジしてみると良い思い出になるはず
多くの旅行会社がツアーを企画してるのでググればすぐ見つかります
また逸れちゃった。話を戻します
タイガーにライドするにはボランティア団体と連絡をとらなければなりません
私はさっそくインターネットショップでメールを送りました。メールアドレスはフリッツから受け取った地図に書いてあります
すぐに返事があり、『三日後にツアーを開催するからルアンパバーンで待ち合わせよう』ということになりました。メールにはツアー代金が併記されていましたが、そこそこの値段です。特別高額でもないので参加することに決めました
ボランティア団体の名前は
『父の家』
3日後、ルアンパバーンのエンシェントホテルに到着。ここが待ち合わせ場所でした
ホテルの前にはすでにピックアップトラックとバイクが数台集まってました。欧米人が6人とラオス人? が1人
1人だけ黒いスラックスに白シャツを着てましたが、それ以外のメンバーはジーンズだったりとラフな格好。
リュックを背負っていたし、なんとなく雰囲気で彼らが『父の家』のメンバーだとわかりました
黒いスラックスの男がリーダー格に見えたので私は話しかけてみました
茶髪の男は30歳くらいの白人。私が名乗ると柔和な笑顔で歓迎してくれました
これ以降の会話は全て私の意訳です
「よく来てくれたヤマグチ。ツアー内容はメールで説明したと思うけど何か疑問はあるかい? 不安があったら遠慮なく言ってくれ」
「それじゃ1つだけ聞きたいです。ポピーマスターって何ですか?」
メールにはツアーのオプションとしてポピーマスターとガンマスターというライセンスの案内がされていました
ガンマスターはわかります。銃器を扱うシューティング体験のことです
でもポピーというのがよくわからない。普通に考えればお花のポピーしか思い浮かびませんが、ラオスってポピーが有名でしたっけ?
「HAHAHA、なんだいヤマグチ、君はポピーを知らないのかい? 日本にも咲いてるだろ」
やはりあのポピーか
「これから行く集落ではポピーが特産なんだよ。綺麗だよ! そこで住民たちと一緒にポピーの加工作業をするのさ。沢山あるからね、手伝いが終われば君も立派なポピーマスターさ、HAHAHA!」
オプションは現地についてから決めても構わないという話だったので、私はとりあえずタイガーライダーだけ申し込みました
意外ですが虎に乗るよりもポピーマスターの方が人気があるそうです。ここでしか滅多に体験できないらしい
リーダーは自分のことを『ファーザー』と呼んでくれと言いました
私は何かの洋画で神父のことをファーザーと呼んでるシーンを思い出しました
言われてみればリーダーは十字架をあしらったネクレスをしてるし格好もそれっぽい。いつも優しげな顔をしてるので神父なのかもしれません。ボランティア団体を運営してるわけですから
ファーザーはアメリカ人でした。出身地も教えてくれましたがよく覚えてませんね、オハイオ州とかワイオアとかそんな感じだった気がします
その後メンバーを紹介されました
フランス人とスペイン人とアメリカ人の青年3人は私と同じツアーの参加者。自分探しに飢えてる感がビンビンします
互いに「ふん、俺は馴れ合うつもりはないね」って中二病オーラ全開です
ファーザーとアメリカ人女性とラオス人?は『父の家』のスタッフ
アメリカ人女性はちょっときつい目をした若い女性でした。真面目な雰囲気でテキパキと準備をしてます
ラオス人?はちょっと、いや、かなり変わった男です。私が日本人だとわかるとすげえテンションが上がってました。
彼は手塚治虫のファンらしく、誇らしげにアニメ『青いブリンク』の決め台詞
「かける君! 勇気をあげる!」
を流暢な日本語で私に聞かせてくれました。
あと青い繋がりかどうかはわかりませんが私にやたらと青い錠剤をすすめてきます
彼の話によると、この錠剤を飲めば眠らずに畑を3日耕してもまったく疲れないらしいです
そんな覚醒剤飲めるかバカ
ちょっと不安になりましたが我々は西を目指して出発しました