山際淳司。ノンフィクション作家。1995年に47歳の若さで亡くなっています
山際淳司を一躍有名にしたのは『江夏の21球』という短編ドキュメントです。発表されたのは1980年。
どんな内容かというと
1979年、近鉄対広島の日本シリーズ第7戦
4-3で広島がリードのまま迎えた9回裏の近鉄の攻撃。1アウト満塁の場面で江夏が投げた21球、それだけにスポットをあてた作品です
本当にそこだけ
著者は江夏やバッターの石渡、広島の古葉監督ら関係者に取材し、当時の様子を様々な視点を交えて書き上げました
この作品がスポーツ雑誌『ナンバー』の創刊号に掲載されると、その乾いた文体と冷静な切り口がベテランの野球解説者をも唸らせ、読者を魅了し大反響を呼びます
この作品を出世作として山際淳司はトップライターとして知れ渡ります
うろ覚えですがテレビにも結構でてた気がする
その後、江夏の21球はプロ野球史に残る名勝負として何度もドキュメンタリー番組が作られることになりました
何年経ってもしつこくテレビで流されたので、私まであの試合を見たと錯覚してしまうほど。ちなみに当時の私は2歳です
そのあとからです、スポーツで名勝負を演出する時にテレビが『○○の8球』とか使い始めたのは
おっと話が逸れた。戻さないと
【スローカーブを、もう一球】はスポーツノンフィクションの傑作と言われてます
本作には山際淳司が1980年~1981年に執筆した短編が収録されています
もちろん『江夏の21球』も入ってます
エピソードは8編
登場するのは高校野球やボート、スカッシュといった様々な競技のアスリートたち。江夏を除けば無名に近い人ばかりです
収録作は
- 八月のカクテル光線
- 江夏の21球
- たった一人のオリンピック
- 背番号94
- ザ・シティ・ボクサー
- ジムナジウムのスーパーマン
- スローカーブを、もう一球
- ポール・ヴォルター
本作には他のスポーツノンフィクションと明らかに違う点があります
それは著者の選手を捉える眼差しが非常に淡々としている所です
スポーツ系のノンフィクション作品を読んだことがある人ならわかると思いますが、クローズアップされた選手の熱さや葛藤が濃く描かれた作品が多いです
弛まぬ努力や挫折からの復活、壊れたチームワークを再生していく様子、そういった逸話がドラマチックに語られる
感動の逸話を読めば心が揺さぶられるし、読み手がスポーツでもしてるならモチベーションの上昇に繋がる。ビジネスマンが読んでも良い効果があると思う
しかし『スローカーブを、もう一球』にはそれがない
トーンの低い文体は決して感情を交えない。熱い展開になりそうなシーンは描かれているのに、筆者の語りはあっさりしてる
作中で取り上げられた選手は一部を除けば日の当たらない人がほとんどです。しかもそんな選手に限ってあまりひたむきでなかったりする
でもそういう人間のエピソードの方が面白くて印象に残ってしまう
人間臭いんですよね。理屈じゃ割り切れないプライドや葛藤を山際淳司は冷静に私見を加えずに描いてる
読み手を誘導するような書き方はしてません。選手のセリフをどう捉えるのかは読者次第
抑揚のない文章であるがゆえに選手の人間性が鮮やかに描かれています
誇張無しに描かれたアスリートの偽らざる本音は読者によってはイライラするかもしれない。あらゆる欲望を跳ね除け、己に打ち克つヒーロー像を望む人には消化不良と写るアスリートもいます
だがそれがいいんです
スポ根とは対極に位置するスポーツノンフィクション小説です
読み終わっても
うおおおおお!! 俺はやるぜ! 俺はやるッッ!
とはならないけど、
もうちょっと頑張ってみるか
って気分になる
誰もが物語の主人公みたいに前ばかりを向いて生きていけるわけじゃない。それはアスリートだって同じ事。そんな当たり前の事実を知ることができる
元気は出ないけど、少しだけ視野が明るくなる
そんな作品
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今回は1つだけエピソードを紹介します
このエピソードが作品全体の空気を表してると思います。参考になれば。
ネタバレが少しあるので気になる人は読まないでください
たった一人のオリンピック
日常的に、あまりに日常的に日々を生きすぎてしまうなかで、ぼくらはおどろくほど丸くなり、うすっぺらくなっている。使い古しの石鹸のようになって、そのことにおぞましいまでの恐ろしさにふと気づき、地球の自転を止めるようにして自らの人生を逆回転させてみようと思うのはナンセンスなのだろうか
昭和50年、1人の大学生がいました。名前は津田真男。有数の進学校である筑波大付属を卒業した彼は東大を目指して2浪し、3回目の受験も失敗します
結局東海大学に入学することになった津田は挫折に押し流されるようにマージャンに明け暮れ無為な日々を過ごす普通の大学生になっていました
ところが大学2年も終わる頃、留年するかもしれないことに気づきます。年はすでに23歳。
高校のクラスメートはほとんどが東大へ行きすでに卒業している。なのに自分は東海大で留年する
そこでふと彼は思いつきます
「オリンピックに出よう」
それが実現すれば沈んだ気持ちも少しは晴れるかもしれない
突拍子もない思いつきですが彼は真剣でした
出遅れた人生はオリンピックに出場することで帳尻を合わせる
津田は高校までサッカー部に所属してましたが現在は何もやってません
それでも彼は本気でオリンピックを目指すことにします
目標は1年半後に迫るモントリオール・オリンピック
もちろんメジャースポーツで出場できないことはわかってます。だから彼は比較的ライバルが少なく日本代表になりやすいボート競技でオリンピック出場を目指すことにします。集団競技が嫌いなのでシングルスカルです
簡単なことじゃない。でも津田には執念があった
頭の良い津田は目標から逆算して自分がすべきことをきっちり計画して実行していく
並外れた集中力と恵まれた体格を生かした猛練習の末、なんと津田は国内の大会で好成績を収めてしまう
しかし日本代表まであと一歩と迫りますが惜しくも代表には選ばれませんでした
彼はそれでも諦めません。次のモスクワ・オリンピックを目指すことにします。このまま練習を積めば四年後には日本代表になれるという確信があったから
大学を卒業した津田はアルバイトと猛練習の日々に明け暮れます。日本のトップにいるとはいえ所詮マイナー競技。収入は少なく常に生活はカツカツ、練習時間を確保するためにはアルバイトを増やすわけにもいきません
しかし津田はめげなかった
全てはオリンピックに出場するため
そして二十代後半になった彼は国内で無敵の強さを誇り、とうとう日本代表としてモスクワ・オリンピックの出場権を手に入れるのでした
しかし……
この話のオチは年配の方ならご存知でしょう
モスクワ・オリンピックはソ連のアフガニスタン侵攻に反発した米国に歩調を合わせる形で日本もボイコットします
つまり津田のオリンピック出場は夢と消えるのです
その後、津田はボートをやめて普通のサラリーマンになります
物語はそこであっさりと終わります
悲しい話でしょうか?
私はそうは思いませんでした。恐らく山際淳司もそういうつもりで書いたんじゃないと思う
オリンピック出場というどこか浮世めいた計画を論理的に実行していく津田。ボート競技を語る彼はどこか冷めた風に見えました
でも彼の根底にあるのは今までの人生を一発逆転したいという極めて人間臭い渇望なんですよね
冷静でありながらオリンピックを目指す
そのアンバランスさというか歪さがあるので彼の言動には違和感を覚えてしまう
しかしそれは当たり前なんです。どんなに賢くても人間だから
見栄もあれば理屈で割り切れないプライドだってある
山際淳司の眼差しは津田の全てをあるがままに描いた。ただそれだけ。モスクワに行こうが行くまいが津田の人生は続く。当たり前のことを当たり前に描いた
この姿勢は他のエピソードでも変わりません
まとめ
今回は1つだけ紹介させてもらいました。他のエピソードも胸に残るものばかりです
でも読後感は決して悪くない。
どんな形でも人生は続いていく
当たり前のことなんですけど、成功や失敗ばかりが強調される昨今ではつい見落としがちになってしまう事実
なんとなく行き詰りを感じてる人は読んでみてください
ちょっとだけ曇った視界が晴れるかもしれません
おしまい