『カモメのジョナサン』と『イリュージョン』
有名な小説なのでご存じの方も多いのではないでしょうか
作家であり飛行家でもある米国人リチャード・バックによって書かれたこれらの作品は当時の世相も相まって大ヒットしました
カモメのジョナサンは1970年、イリュージョンは1977年に発表されています
日本語訳はかもめのジョナサンを作家の五木寛之、イリュージョンは村上龍が担当しています
作品の時代背景
1970年前後のアメリカはベトナム戦争の敗北、ウォーターゲート事件、キング牧師の暗殺…
さまざまな事件やスキャンダルで政治不信が高まり国内はガタガタ。最強国家としての勢いを失い、国民の間には不安が広がりつつありました。カルト教祖のチャールズマンソンが暴れまくったのもこの時代です
そんな不安定な時代、人々がよすがとなるものを求めるのは当然の成り行き
新興宗教や麻薬が瞬く間に蔓延します
映画では『ダーティハリー』や『黒いジャガー』、ブルースリーの映画がヒットしてた頃です。人々は明確なヒーロー像、あるいは行動様式を求めていたのかもしれません
そんな時代にカモメのジョナサンとイリュージョンは特にヒッピーから絶大な支持を受けました
どんな内容?
簡単に説明すると
『カモメのジョナサン』は
誰よりも飛ぶことを愛し情熱を傾けたカモメ、ジョナサン・リヴィングストンの物語です
ジョナサンは他のカモメが呆れるほど飛行に夢中でした、くる日もくる日も特訓に明け暮れ、とうとう普通のカモメが及びもつかなやべー飛行技術を身につけます
そんなジョナサンの前にさらに変態的な飛行技術を持つカモメが現れる
ジョナサンは彼らに導かれてさらに高次の飛行技術を極め、師と出会い、とうとう瞬間移動までできるようになったのでした
遥か高みへと上り詰めたジョナサンでしたがそれでも彼は飛ぶことへ飽くなき情熱を傾けます
そんなある日、彼は自分の技術を他のカモメたちに伝えることに決めました
弟子をとり技術指導する。仲間からは悪魔呼ばわりされる逆風の中、彼は志を同じくするカモメを教え導くのでした
イリュージョンは
イリノイ州フェリス北部、飛行士リチャードの前に飛行機乗りのドナルド・シモダ(ドン)が現れます
ドンの飛行技術は常軌を逸していました。彼の運転するトラベルエアは汚れ一つ虫の死骸すらつかない。他にもドンは様々な超常現象をリチャードに披露します
そう、ドンは救世主だったのです
リチャードはドンに見いだされ救世主の弟子として彼と旅を共にするのでした
想像力を用いた摩訶不思議パワーであらゆることを可能とするドンでしたが、彼はある日とある街の住民たちを怒らせてしまい……
以上、簡単に内容を説明させてもらいました
たぶんこの説明を聞いて、ほとんどの人は
あ、(察し)
となったんじゃないでしょうか
俗っぽくいうとスピリチュアル系、あるいは宗教的というかそんな匂いを感じとったのでは。真面目に内容を語るとちょっと痛い人だと思われそうです
作者のリチャード・バックは作品の中で明確に偶像化、神格化を否定しています。主人公が宗教的に扱われることを嫌悪してる。また大量消費とコマーシャルに支配され、考えることを放棄した世の中の退屈さ、そんな状況に違和感を持たない大衆に疑問を投げかけてる
退屈を嫌い憎むといえば村上龍もその一人です。私の好きな『69』のあとがきでも退屈を強制させる存在について強く憤っていることがわかります
そんな村上龍がイリュージョンの訳を担当したのはとてもマッチしていたように思う。ストレイトストーリーは書き下ろしなのでちょっと違うけど彼の関わる海外文学が私は好きです
カモメのジョナサンを訳した五木寛之はあとがきでこの作品についてこう述べてます
ここにはうまく言えないけども、高い場所から人々に何かを呼びかけるような響きがある。それは異端と反逆を讃えているようで実はきわめて伝統的、良識的であり、冒険と自由を求めているようでいて逆に道徳と権威を重んずる感覚である
引用:カモメのジョナサン解説P137
実際、これらの作品はアメリカでヒットしましたが賛否両論ありアンチも沢山います。とにかく反響の大きかったのは確かです
当時の思想や文化を知る上で読んでおいて損はない作品だと思う
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若者のバイブル
1960~70年代にいたような反戦を訴えるオノヨーコ的な人々はもういません。私が知ってるのは2000年前後の話
ヒッピーはいなくなってもヒッピー文化の一部はファッション化して残ってました。つまりヒッピー気取りの若者はそれなりにいました
レゲエやハウスを流す国籍がごちゃ混ぜのバー。店員も客もどこの出身なのかよくわからない
ドレッドヘアの黒人DJ、古いレコードを集めて壁に飾りチェゲバラやダライラマのポスターを貼ったり。カウンターにはいろんな薬草?や葉巻が売ってたり。まだ幻覚キノコが違法じゃなかった頃
そういう場所では香ばしくて鼻にツンとくるマリファナの匂いが漂ってました。ガラステーブルには金属の板で削られたコカインの粉末
東南アジアやインドの安宿には『かもめのジョナサン』や『イリュージョン』をバイブルとして持ち歩く欧米人や日本人がまだいました
彼らはよくわからない打楽器を叩いていつも変な音楽を演奏してる。下手くそだけどラリってるから気にならないらしい
作者の意図はともかくこの二冊は現実逃避したい若者の必須アイテムだったように思います。普通であることを何よりも嫌っていたのにそんな普通の社会人になる器量もない、あるいは可能性が無限でないことに薄々気づいた若者が退屈しのぎと現実を忘れるため時々ページをめくる
日本に戻って現実に打ちのめされたくない
でも日本が恋しくて現地人の作った出来損ないのかつ丼やラーメンを不味いと思いながらも食べてしまう。日本人に出会えば話しかけたい衝動に駆られる。でもプライドが許さない。自分は日本が嫌でここに来たんだから
隣国に出入りして滞在期間を延長するのだって金がかかる。いずれ金が尽きれば嫌でも日本に帰らないといけない
たかが帰国するという行為に吐き気がするほど恐怖を覚える
いっそう不法滞在でもするか? こんな賃金の安い国で? そもそもそんな度胸が自分にあるのか?
自分にそこまで思い切った行動がとれるほどの行動力がないことはわかってる
ああ゛あ゛あ゛~ニッチもさっちもいかないじゃんかよおおお
私はこういう中途半端に海外に溺れた人を沢山見かけました。彼らはいつも毒っ気のない顔してたけど内面は悶々としてた
いいと思うよ。些細なことで悩めるのは若者の特権ですたい。死んだり逮捕されるわけじゃないからいくらでも悩むといいのでは
私なんて渡された他人名義の銀行口座を『これ本当に大丈夫なのかな』と心配しながらも使ってましたからね。雇い主に「名前が違いますよ、ウアンって誰?」と抗議したら「お前の芸名だ。気にすんな」と言われてまんまと騙されました
今考えるといくら外国だからって芸名で口座を作れるわけがない。っていうか芸名ってなんだよって話ですよ
のちに会社が摘発されて巻き添えで酷い目に遭いました
まとめ
こういう悩める若者のバイブル的な存在は今の日本にあるのでしょうかね
ホリエモンがそういう役割を果たすのかな
彼はなんでも断言するから悩める子羊にとってはわかりやすいかもしれませんね
かもめのジョナサンやイリュージョンは抽象的なそれでいて前向きな内容が当時の悩めるヒッピーに受けたけど、今はもっとはっきりしたものが求められてるように感じます
それほど時代は不透明さを増しているのかも
ちなみに自分は物事をはっきり断定されるほど胡散臭さを感じてしまうあまのじゃくタイプです。常に遊びと余裕を持っていたいものだと思う
そのくせ他人を説き伏せる時は断定と偏見にまみれたトークを発揮するひどい人間です
おわり