7月24日は芥川龍之介の命日でした
1927年、心身の消耗していた芥川は大量の睡眠薬を服用して自殺。遺書に「将来に対する唯ぼんやりとした不安」と残したのは有名な話


この文庫本は河童というタイトルですが、『河童』の他にも『歯車』、『点鬼簿』、『或旧友へ送る手記』等、芥川最晩年の作品が収められています
見ての通り、かなり痛んでいます。大学生の時に購入して、繰り返し読みましたからね
とくに『河童』と『歯車』は何度も読んだ記憶があります
【河童】と【歯車】の簡単なあらすじ
『河童』は河童の国に迷い込んだ男の目を通して語られる河童社会のお話。男は精神病院の入院患者です。語る内容が妄想なのか真実なのか最後までわかりません
『歯車』は強迫観念に苛む『僕』がフラフラと出歩く話。常に些細なことを不安に感じ、死を予感して怯えています。レインコートを着た男、轢死した義兄、頭痛が起こると視界に現れる半透明の歯車
ストーリはありません、ただただ陰鬱で不気味な話
2作品とも初めて読んだ時は意味不明すぎてポカンとなりました
よくわからないけど、とりあえず作者がイカれているのはわかります
この世が嫌すぎてさっさと死にたい気持ちが滲み出てますよ
どちらも芥川龍之介が自殺する前に書いた作品です
『河童』はあらすじだけ読むと不思議の国のアリスっぽいですが、そんなファンシーさは微塵もありません
不条理なブラックコメディかな? 河童社会は狂気じみていて全体的なトーンが暗いんですよ
河童の出産光景なんて奇怪すぎて乾いた笑いしか出ません
なんとなくですが世を厭う芥川の願望というか理想郷として河童の国が描かれているような気がしました
『歯車』は「僕」という一人称で語られています。それが芥川自身であることはすぐわかります。彼の晩年と似た出来事が作中で起こるからです
病んでいる自分を病んでる自身が客観的に描くというある意味凄すぎる作品です
文章は破綻していません。しかし主人公の行動や思考に一貫性がないので、読んでいると知らずに頭が混乱してきます
個人的には夢野久作のドグラ・マグラのほうがまだ読みやすいと思う
下記のリンクで紹介する書籍は私の持っていた小説とは収録作品が微妙に違います。気になる人はリンク先で確認してください。河童や歯車は収録されてます
なぜ私は芥川作品を読んでいたのか
大学生も2年が経った頃、私は将来に対して漠然とした不安を感じていたのでした
これといった特技もなし。このまま卒業すればサラリーマンという平凡な未来……
それでいいのかよ!俺
イヤだ、楽して大金が稼ぎたいZE
というわけで、とりあえず小説家になってみようと思ったのです
さっそく私は有名な文学賞を受賞した小説を図書館から借りて読んでみました。巷の作家レベルを把握しなければいけませんからね
『蒲田行進曲』『青春デンデケデケデケ』『高層の死角』『13階段』etc・・・
直木賞作品や江戸川乱歩賞作品はどれも面白く、自分には絶対に書けないと気づきました
『太陽の季節』『限りなく透明に近いブルー』・・・『日蝕』
芥川賞作品は面白くないし訳がわからない小説ばっかりだったので、これなら俺にも書けるんじゃないかと希望が湧きました
芥川賞は純文学の賞らしい
私の中では『自分が感じたことを、もって回ったキザったらしい表現で書いた小説=純文学』という図式が成立
しかも純文学の賞ならストーリーの面白さは問われない
正確にいうと芥川賞は公募制ではなく新人賞の受賞作から選ばれるらしい
いずれにせよ自分が目指べきは芥川賞しかない!
↓
だったらまず賞の由来である芥川龍之介の作品を読んでおこう
↓
たまたま本屋で『芥川龍之介の最高傑作』と宣伝されていたさきほどの文庫本を購入、読んでみると意味不明すぎて「うっしし、純文学の大御所でこれならチョロいもんよ」とますます夢が大爆発。文体を真似しようと熟読する
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実際に書いてみる
文庫本を読み終わると大学ノートを持ち歩いて、日々感じたことを感じたままに書いてみることにしました
5月28日
今日はエモっちゃん(友人)が彼女に振られました。っていうか本人は付き合ってるつもりだったけど相手にはそんな気がなかったらしい
でも元カノ?はエもっちゃんにアクセサリーとか服を貢がせていたのでちょっと酷いと思います
とりあえず泣いてるエもっちゃんには元気が出るようにポポロクロイス物語を貸しました
ついでに「まだ諦めんな! お前の愛はそんなものなのかよ!」と煽っておきました。
ストーカーに変身したらまた取材させてもらおう
7月3日
今日はシユウヤが原付で事故って救急車で搬送されました。病院は江◯病院です
救急治療室の外で待ってたら先生が「入ってもいいよ」と言うのでノートを持って入ったら、シユウヤが半べそかいて唸ってました
膝はパックリ割れて白い骨とか関節が丸見えでした。大怪我なのに思ったほど血が出てないことに驚きました。人体って不思議
ノートを広げてシユウヤに「今の気持ちを教えて」と言ったら「帰れバカヤロー」と怒られました
なんだこれ、ただの日記じゃん
芥川作品をあれだけ繰り返し読んだのに、ちっとも身についてません
文章がペラペラ、文学って感じがしない。なんというか情熱に乏しく表現に魂が宿ってない気がする
小説なんて簡単に書けるものじゃないとこの時点でようやく気づきます
うむむ……どうすればいいのか
……
……そういえば
芥川は心を病むことでああいう作品を完成させました
ならば自分も心身が正常でない時に心情を書けば純文学になるのでは?
それからの私は酒を飲んで酔っ払ったり、女子に振られて捨て鉢になった時はすぐにペンをとり、ノートに書きとめるようにしました
勢いで書いた文章は支離滅裂で意味不明
しかし書いていると自分が芸術家にでもなった気がして悪くない気分
この習慣は5年ほど続きました
ノートは今でも手元にあります。記念ですからね。でも最後まで文章力は向上せず日記調だったのが残念
というか小説家になることは早々に諦めて普通に日記を書いてました
日記の一部を紹介
最後に私が23歳の時に記した日記を書いて終わりにします
状況はカンボジアのバーでよくわからない薬物を盛られた時の話です。文字は滅茶苦茶で解読するのに苦労しました
2月4日
俺はラリってない。間違いなく正常である。この健康体は薬ごときに負けないのだ
正常、正常、せいじょう、絶対正常
……
でもよく考えたら正常な人間は自分ことを正常だと言わない気がする……
こんなに一生懸命正常だと言い張るということは、すでに俺は正常じゃないのでは?
だったら大人しくしておこう
……
いやいやちょっちまてよ。『大人しくしておこう』と誤魔化す時点で俺ってばラリってない?
しかしラリってる人間がこんなに冷静に自分を突っ込めるかな?
たぶん俺は冷静に正常だよ。間違いない!
俺は正常、ラリってなんかいない。間違いなく正常、正常、絶対正常
……
でも正常な人間は自分のことを正常だと言わない気がする
こんなに正常だと言い続けるということは、すでに俺ってば正常じゃないのでは?
だったら大人しく黙ってよう
(以下無限ループ)
病んでいても客観的に歯車を執筆できた芥川龍之介は凄いと思います
おしまい