今から十一年前、初夏の頃だっと思う。私は母とコンビニにいた。
「あんた暇でしょ、これ重いから運ぶの手伝ってよ」
親戚に日本酒を送りたいと言う母の荷物持ちとしてお付き合い。
思い出はいつまでも
一升瓶を抱えた私は店の入口に突っ立っていた。カウンターで配送手続きをしている母をぼんやりと眺めながら。
「あれ?……ええと……」
なにやらまごつく母。ボールペンを握りしめたまま、メモ紙と送り状を交互に見ては困った顔をしている。
店員に何かを尋ねているが、自分は少し離れていたので聞こえない。でも店員が困惑しているのがわかった
「どうした?」
見かねて近寄ると、母はメモ紙を見せて言う
「アンタが書いてよ、おじさんたちの住所はここに書いてるから」
「なんだよそれ、ったく送り状くらい自分で書いてくれよ」
「いいじゃない、ほらさっさと書いて。店員さんに迷惑でしょ」
私は渋々ボールペンを受け取った。
メモを見ながら送り状にペンを走らせようとして、
「ん?」
手が止まる。
メモを凝視する。
「え……」
見ちゃいけないものを見てしまったような感覚、胸の奥がズシンと重くなった。
「ちょっと……これって……」
「え? どうしたの?」
きょとんとする母。その様子が余計に不安を増幅させる。
綺麗に罫線が引かれたメモ用紙。
そこには文字がぐちゃぐちゃに踊っていたからだ。
斜めに書かれた郵便番号らしき数字は途中で途切れ、住所と思われる文字はずっと離れた位置にやはり斜め、それも途中で切れていた。全ての文字が抽象画のように大きさが滅茶苦茶だった。
親戚五人の住所はどれ一つまともに書けていない。
一週間後、母は「アルツハイマー型認知症初期の疑い」と診断される。
私と妹が先生から説明を受けた。
「先生、確定じゃないんですよね?」
「ええ、今の段階では……」
母五十四歳、私が二十九歳の時
当たって欲しくない事は大抵当たる。そんなマーフィーの法則
母親が若年性の認知症だと知ると大抵の人は気の毒そうな顔をする
「大変だね」
「大変だと思うけど無理しないでね」
その通り、認知症患者を抱える家族は大変である
「認知症になった本人が一番つらいのよ」
などと言う人が必ず出てくるが、私に言わせれば
うっさいバカ
である
母の認知症が発覚してから、まず私は転職を取り止めた。神戸の製薬会社に内定を貰っていたが地元九州からは遠すぎる
これは人生における『決断』とは言わない。そうするのが当然だと思っていたから迷うような選択肢は他になかった。
私はそれまでにやんちゃばかりしていたので、迷惑をかけた母に尽くすのは当然だと思っていたのだ。
……
すみません、見栄張りました。やんちゃな奴にカツアゲされる可哀そうな学生でした
認可されたばかりの薬を飲んでも母の症状はゆっくりと進んでいく。
リハビリに塗り絵をしていたけど、それもやがてできなくなる。
一晩中に壁を引っ掻き続けたり、お金を数えては唾を吐きかけたり、家族に支離滅裂な八つ当たりを繰り返す
私が作った夕食は大抵ゴミ箱に捨てられた。
ぼんやりした顔でカレーを投げ捨てる様子はちょっとホラーちっく
母が私のことをわからなくなり、糞便を掴んだり徘徊を繰り返すようになると、会社を辞めて自営を始めた。店は家の近くに構えた。
これも『決断』とは言わない。一緒に暮らして面倒を看るならそうするより他になかったから。
そんなこんなで十一年が経った。つむじ風のような十一年も経ってしまえばそれが日常。
ボケてない頃の母が嘘みたいに思える。
現在も母は家にいる。
大抵は目を閉じているかぼんやりしていた。寝ているとすれば夢を見たりするんだろうか。見るとすればどんな風景なのかちょっと興味がある
母は自分で立つことができなくなったのでいつも椅子に座っていた。
でもまったく立てないわけじゃない。脇を支えてやればへっぴり腰でプルプルと脚を震わせどうにか地面を踏む。力の入れ方がわからないだけ。
そんな時は必死に私の腕を掴んでる。
変な話だが母は認知症になってから顔つきが若くなった。いや幼くなったと言うべきか。
だから子供にしがみつかれている気分になる
父は暇さえあれば母に笑いかけて
「あの人は誰だかわかるか?」
と私を指さす。よくわからないが父の中ではそれがマイブーム
「え!? ああ、この人はね……えっと……」
ごにょごにょと何か言ってる母。その後は決まって誤魔化すように笑うだけ。
隠し事がバレた子供みたいにはにかむ。前歯が1本ないので間抜けな笑顔
この笑顔を見せられると、
「ま、いっか」
となる
これまでに母の介護をしていて重大な局面に立つことは幾度となくあった。
当然である、綺麗事で済むほど介護は甘くない。
ちなみに私は認知症を扱った映画や小説が嫌いである。あれを見て感動できるのは身近に患者がいない人間だけだと思っている。
しつこいが介護は甘くない。本当に。
だから、母のハニカミ顔を見て
「ま、いっか」
となってしまうのはあくまで自分の話。
介護でボロボロになった人に共感を求めることはできない
「認知症患者って笑顔が素敵ですよね。アレを見ればどんなに辛いことも乗り越えられると思いませんか!」
なんて口が裂けても言えない。
介護の過酷さは千差万別、介護する側の家族構成や性格、所得、様々な要因が絡むからだ。
家族介護にまつわる不幸な事件を聞いた時、私は加害者を糾弾できない。
私は退職して自営の道を選んだ。でもそれが正解だったのかは今でもわからない。当時は考えもしなかったけど、勤めていれば安定した給料で十分な金銭支援をするという選択肢もあったはず
時間の融通はきくから母の面倒は看やすい、でも収入は不安定。ぶっちゃけ今は新卒の会社員よりも稼ぎは悪い
でもね、「ま、いっか」って流される自分が好きだったりします。たぶんナルシスト
母の笑顔に限らず私はずっとそうやって生きてきた。つまり『決断』をしてこなかった。
こういう生き方は悪いことばかりじゃない。介護という現実に直面した時、自分を見失わずにすんだのはだぶんそのおかげ。
だからこれからも何事につけて
「ま、いっか」
で流すつもり、流されるつもり。
それに関してだけ『迷い』はない
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